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マラグッチによる初期の論文

-白梅学園大学・無藤隆教授がノートを公開

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※無藤 隆教授が、2018年10月8日月曜日にノートを公開しました。

マラグッチによる初期の論文

Malaguzzi,L.(1963) Speech at a symposium on the ‘relations between psychiatry, psychology and pedagogy’, Reggio Emilia, March 1963.
In P.Cagliari, M.Castagnetti,C.Giudici,C.Rinaldi,V.Vecchi, & P.Moss (Eds.) (2016) Loris Malaguzzi and the Schools of Reggio Emilia:A selection of his writings and speeches,1945-1993. Routledge.

21.63(精神医学と心理学と教育学の関連)
教育とは何か。時に意図的で、時に文化や経済や社会の側からの直接・間接の影響からなる。新しいアクティブな教育を目指す。より合理的でシステマチックで科学的な子どもについての知識に基づいた教育のあり方に気付く。デューイ、ゲゼル、イタール、セガン、モンテッソーリ、クラパレード、ワロン、ピアジェ、ジェミリ(精神分析)、レヴィンなどを参照する。

教育は社会の発展の一つの要件だ。教育学は科学であると同時に哲学的な価値を再定式化し続けるものだ。人間をなること(becoming)においてとらえる。主体であり、進化の創造者である。

経験と知識の社会的構造を強調する。文化の学習が生徒がその過程の協同参加者になることで可能となる。学習は知的で、社会的・情動的な複雑な活動である。学校は文化の学習の場であり、文化を創造している。

教育は集合的で社会的だ。構成されていく集団の中で人格の進化は生じる。それが最初の純正な社会的経験だからである。教師とクラス、グループ、生徒、生徒同士の関係が肝心である。3つの基本的な要素すなわち生徒、クラス、教師が相互作用するのである。

子どもが最初に学校に入ったときの情緒的混乱に思いを馳せるべきだ。子ども時代は大変に豊かで重要な時期だ。子どもは完全で独自の生活を営んでいる。子どもは絶えずなっていく存在である。そこでは発生的な方法こそが役立つ。子どもは知的論理的な発達を遂げるとともに、情緒的ななのである。これが徐々に感性的なものへと入れ代わって、論理と結びつく。子どもはより分析的であると同時に全体的になっていく。

興味に注目しなければならない。物、行為、アイディアへの魅力である。深い興味が子どもを刺激する。表面的な魅力と興味を作り出す指導を区別する。子どもは遊びを好むが、さらに遊びから一歩外に出て、望むものを努力して達成しようとする。興味は重要な跳躍台であるが、そこに努力の気持ちが必要なのである。意思の文化を知識の伝達に結びつけねばならない。興味により支えられ活性化する意思の教育学(指導法)が必要であり、単にその片方だけではダメなのだ。

子ども一般と特定の子どもの双方の知識が必要である。クラスとは現実的な集合的存在である。クラスは子どもにとって日々の生活の場となれば人工的ではなく実際の環境となる。教師のそこでの働きは大きい。

子どもの自発的な真似(imitation)が重要である。それが模倣(emulation)に発展する。意識的な思考に支えられたものである。この模倣には個人的なものと社会的なものとがある。クラスでの模倣は社会的であり優越を求める。それが義務の感覚に取って変わられる。集団内の個人の役割を規定する。社会化が進展する。

教師の権威を持つ態度に教育の過程は基づかねばならないと従来言われてきたが、そこから子どもが教師に依存する時期から、子どもが教師の公正さを信じ、教師がそれに応じて見守りつつ責任を果たすようになっていくのである。教師は学校の集団の統一の重要な要素となる。子どもの側の協働、友情、共に生活することへの欲求に基づき、さらに教師は子どもの批判的な振り返りを考慮しなければならない。

グループでの活動は分化とアイディアの比較、参加者の受け入れと対話のダイナミックスを前提とする。

以下、結論。
1)子どもは社会的存在であり、知識獲得の社会的情緒的性質を考慮する。
2)学校は社会化の場であり、グループの統合がなされ、それが社会学的心理学的秩序の形成を可能にする。
3)この欲求は基本的であり、その満足が不可欠である。
4)教育では、ものへの抵抗と同様に、教育的行為への子どもが示す抵抗への対応が重要である。
5)子どもは全体主義的で魔法的な雰囲気から徐々に感情的知的行動を切り離していかねばならない。
6)子どもの成長していく合理性と情緒的活力の蓄えから情操が育つのであるが、そのためには、教師の機敏で知的で情熱的なサポートと調整が必要である。
7)教師の権威は、グループに入り、その成熟のほかに置き換えがたい要素として協同的な権威となって実りがある。
8)教師が子どもの批判的な振り返りを支え、命令ではなく、助言また説得になっていく。
9)自発的で子どもの成熟により獲得される興味の広がりの基づいて生み出される努力こそが健全である。
10)家庭環境に働きかけ、家族と同期していくことで、教育は動いていく。
11)子どもが実りある観察の対象であり刺激となり、さらに子どもが無名でなくなり、その歴史を知ることで教育は意味を持つ。
12)教師は判断の前に観察をするのである。
13)学校の始まりで急ぎすぎて、導入と調整に時間をかけることが子どもの特質に合っている。
14)ファンタジーやごっこ遊びが多すぎる。想像力の価値は否定せずに、幼い状態で現実を拒絶し、観察の能力を失うようにはすべきではない。
15)子どもが本来的に完全な自由を望むととらえるべきではない。自由への憧れは、子どもの個人的社会的進化と安全と保護の欲求が満たされる中で実現されていく。教師は自由と自律の獲得へと安全な雰囲気の中で導いていく。
16)教師の指導の安定性と連続性は教育法の連続性とまとまりに必要であり、生徒の集団に苦痛な結果なしに経験の連続性を可能にするのである。